2010
時々、将来だとか未来だとか考えたりします。日本の経済状況だとか、政治状況だとかお金だとか、環境だとか生きていく上で、何か地に足がついていなきゃいけないなと感じつつ、一体何が必要なのかとか考えれば考えるほど悪い方向にしか進まないような気がしてなりません。マクロだろうとミクロだろうとどちらの視点においてもなにか、望むような感覚っていうところにターゲットが絞られないそういう歯がゆさの中、簡単に1年、2年と過ぎてゆきます。具体的にいうと、街に出ても何か高揚させるものに出会えないのです。カオスの殿堂だと思っていた中野ブロードウェイに行っても特に、なにも感じなくなりました。それは、私が不感症になったのではなくむしろ、カオスという状態すら均一化され、アンダーグラウンドすらマジョリティーの一部としてくくられるような、いや、カルチャーやらアングラという線引きができなくなっている、その状況を何と呼んだらいいのか分からずにいる。その状況が悲観的なのかというと、全くそんなことなく、むしろかゆいところまで手が届くラインナップが現在過去通して、すでに市場に揃いきっている。言ってみれば、物理的に圧倒的に豊かになりすぎて追いかける必要もないくらい充足しているそんな感じだと思うのです。その圧倒的豊かさの前で、それでも待ち望む心理は間違いなく、高度経済成長、もしくはバブル経済を通過した人たちのなにか、新しいものが出て当たり前なその得体の知れない期待感なのだと思うのです。しかし、その期待をもちつつ、待ち望む人たちに次はナニが欲しい?と尋ねても、きっともうこれ以上はそれほど新しいものなど必要ではなくむしろ欲しいものは金と言ってしまうようなモノを買うための金なのにモノを欲しがるより金がほしい欲しいものがないのに、豊かになりたい。その奇妙なパラドクス自体が今の空気なんだと、思うのです。しかし、その望む金すら今の日本のおかれている経済状況、世界的不況を、ぼんやりと眺めているだけで以前のようにはいかないと、誰しも肌で感じられその欲しいものもなく金持ちにもなれないという具体的な不安感がこの今のどうにもできない感を生み出しているように感じられてならないのです。本当に、欲しいものがないのか。本当に、金がほしいのか。この先の未来をどう生きたいのか。なんて思うのは誇大妄想なのか。うろうろ辺りをさまよいながら東京のあらゆるところを歩きまわるけどなんだろう。本当に、この空間に住みたくて住んでいるのか?そして、ナニを求めて歩いているのか。正直、考えるのが怖いです。だから考えられないように、働いている、かのごとく。こまけえことはいいんだよ!ってのも分かる。けど、それらはちっとも細かいことでもなく、むしろ、細かいことをはぶいてこれだ。様々な書物を読み様々な映像作品を見て様々な情報を収集してもう、これ以上知ろうとしなくて充分なはずなんだ。何かをするんだったらこれ以上は余計な物なんだ。それでも、何かを求め欲し、そこまでして、求めることが何につながるのか?自分の幸福か?見栄か?妄想か?いったい、自分はどうなりたい?そのもやもやを解消する具体的な指針が今の社会には存在しない。正しく生きるって何なのか?心を病んでまで考える自分のこの精神が何を意味するのか?いろいろね、こうあればいいっていうあらゆる理想を紙に書いてそれが叶うためにはナニをすればいいか、どれが実現可能なのか、もしくは不可能なのか、と消去法的により分けてゆくとその理想が全部消えることに気付く。不可能なことが理想なのだ。頬杖えをつきやたらめったら考える。逃げたきゃどこまでも逃げてけど、言いたいことをちゃんと言って笑ってごまかしつつ意固地になりながら生活していければなあ、と考え、んな馬鹿な。ってわかりつつ、やっぱりね、納得いかないんです。自分が生きるあらゆる全てに。口から食ったものがケツから出てくる。それ以上の法則以外に何が必要なのだろうね。少なくとも、人間はそれぐらいの物体でしかないのですから。それぐらいは、納得したい。